先日、実家のオーディオの修理で感じたこと・・・
「レコードが聴きたい!」という母の願いを叶えるべく
修理を思い立ったものの・・・ かれこれ30年も昔のコンポ。
アンプも、カセットも、レコードも~ あちこちに不具合があり、
レコード針を始めとしていろいろな部品が無いことは明らかですが・・・
KENWOODの熟練技術者さんはいいものだから永く使って欲しいと、
いろいろと回路点検や単品パーツ交換、パーツの加工や流用・調整など・・・
さまざに工夫をして 修理を仕上げてくれました。
古いものだけど、古いものだからこそ、気に入ったものを大事に永く使いたい。
それを可能とした、技術者さんの技術や努力、そして思いに感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました! これからも永く大切に使い続けます。
すべてが組み上がり、回転するレコード盤に針が静かに降りてゆく。
生まれ変わった音は、デジタルの0/1で割り切ることの出来ない、
アナログならではの行間の表現に満ちた奥行きのある音。
レコード盤に詰まった音楽の感動が伝わって来ます。
デジタル思考の忙しい現代社会ですが、時にアナログに立ち返ってみる。
ココロのゆとりには、こんなひと時も必要ではないでしょうか?
そうそう、KENWOODの技術者さんとの世間話の中で、
後継の技術者がなかなか育たない との話がありました。
現代のオーディオの修理では、故障個所や現象に応じて作業のマニュアルがあり、
この場合には⇒この基盤、というように、部分ごとの丸ごと交換が主流だそうで、
作業の効率や、直ったという結果が優先され、昔のように故障個所を探求して
部品単品をはんだ付けで交換したり、調整したりということは、殆ど行われなく
なっているそうです。
海外製の安い製品が多くなって、基盤交換で直すよりも買換えを決断しやすくなったり、
お客様自身も修理のスピードや直ったという結果を優先。
例えば、難しい修理で時間もかかって、結果として部品が100円で点検・交換工賃
合わせると1万円! という請求はなかなか理解してもらえないそうです。
機械や回路とじっくりと向き合ってこそ、理解し成長する。
そういった機会自体が失われているから~というお話に、
自動車整備の世界でも同じようなことが起きているかもしれないと感じます。
今とりかかっている、自動車の故障探究も同じようなものかもしれません。
コンピューターで簡単に判らない類の故障で、試運転等で故障の症状を再現し、
疑わしい部品をひとつずつ点検し、回路図と睨めっこしながらひとつづつ点検を重ねる。
Dラーさんなら、疑わしきは全部交換!! という荒業も可能ですが…
途方もない時間が流れてゆきますが、さすがにまるまる請求するわけにも行かず…
それでも、自らの勉強だと思ってガンバリマス。お客様の喜ぶ顔が一番のご褒美かな(笑)
そうそう、
オーディオの後ろの壁に2つの書が掛かっていました。
「芸遊」と「福知」 です。
「芸遊」とは… (ネット調べ)
孔子の「志於道 拠於徳 依於仁 遊於芸」の一節
孔子曰く、正しい道を志し、徳を根拠とし、仁に依って芸(教養)のなかに遊べと。
孔子の言う芸とは教養であり、学問と礼儀作法、武芸も含まれる。そして人への愛情、
仁を大切にしつつ、そういった教養(芸)のなかに遊んで、 人格の幅を広げよと。
「游」の字はもともとは「およぐ」という意味ですが、
自由な気持ちで その中に身を委ねるという意味も。
「福智」とは…
仏教用語で、 福と智。菩薩の善を行なって徳を積む福行と,自己の悟りを完成するための智行。
ひらたく解釈すれば… 人の為に尽くしてゆくことが、自分自身の為にもなる。でしょうか。
なんだか、今回のテーマにしっくりくるような気がして…
これらの言葉にある通り、人の為に役に立ててこその技術。
知識や知恵だけでなく、人格を伴ってこその技術。
「技術はひとのために・・・」 本日の結論です。